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執筆者の写真Hiroki Sato, MS, ATC, CR

ものごとのしてん

更新日:2019年11月12日



バイオダイナミクス(以下バイオ)関係の通訳をさせてもらうようになり、7年ぐらい経ちます。トムの通訳も、5年以上経ちました。一年に一回ではなく、一年に数回クラスを通訳させてもらっているので(ちなみに今年だけでも7クラス)、年月と共に成長しているのは前回書いた「あり方」や感覚だけでなく、脳ミソの中身と理解も深まっています。これだけ長年やってて、この程度かよ!と自分の成長の遅さに嫌気がさす時もありますが、確実に成長しているのは確かです。


さて、今回はものごとを見ている「してん」を客観的に観察してみると面白いよってお話です。


初めに立ち位置が変わると入ってくる情報と学び方が変わるのを感じたのは、アスレチックトレーニング(以下AT)の勉強をしている時でした。一年生でトレーニングルームに行ったばかりの時は右も左もわからない、英語でのコミュニケーションも上手くできないし、とにかくついていくのでやっとこさという状態です。二年、三年、そして四年生と学年が上がっていくにつれて、下級生に「教える」機会が増えます。それと共に、理解も深まっていったり、実際に教えようとした時に自分でしっかり理解していないところに気づけることを知りました。ATプログラムの下級生が上級生から学ぶというシステムは凄く好きでした。なぜなら、聞く方も気軽に先輩から聞けるし、教える方も教えることで学べるからです。こういった環境って、なかなかないんですよねぇ。。。


次に大きなシフトとして見方が変化したのは、大学院に行った時でした。それまでは、一学生アスレチックトレーナーとして自分がやらなければいけないことをしていれば良かったのですが、大学院生のアシスタントアスレチックトレーナーとして学部生達をスーパーバイズする側になりました。すると、今までの「する」から全体が上手く機能するように「傍観」する必要が出て来て、その中で必要な人や所にアプローチしていく方向に変化しました。自分でやれることをあえてやらないという我慢も学びました。この経験は、その後もセミナーを開催する時、通訳をする時、現場に行く時などなど、自分がどういう役割を担えば、そのチームやセミナーが一番スムーズに回るのだろうかという視点でものごとを見れるようになったので、とても役に立っています。


バイオのクラスも、はじめの頃は医学的専門用語やバイオ特有の用語で苦労しましたが、年月と共に理解が深まり、自分の中で現象と用語が一致するようになってくることで、より気軽に先生の話を聞き、それを訳していけるようになって来ています。すると、言葉と共に起こっている空間の変化や、参加者の方々の状態などにもより気づけるようになって来ます。つまり、先生が言っている言葉を聞いて訳すという「する」状態から、全体まで見れる「傍観」に変化していっているわけですね。そうすると、ただ言葉を訳す通訳ではなく、自分もプロセスの一環として関わっている感じもでてきて、より面白くなります。


IMACのクラスの参加者の方々でも、はじめのうちはクラスの情報を追うので必死ですが、何回か履修してもらって考え方や用語に慣れてくると、起こっていることを把握することに労力を使わなくて良くなり、そこから突っ込んだ質問ができるようになってきます。そうなってくると、はじめて全体像がみえてきて、その背面にあることも分かってきて面白くなってくるし、結果も出るようになってきます。残念なのは、そこまでいく前にギブアップしてしまったり、やめてしまう人が多いことですかね。そこをどう埋めていくかというのも課題です。



このように視点が変化し目の前のことに必死な状態でなく、余裕がでてきて自由になってくると、同時に分かる「支点」も変わってくる感じがします。そう、テコの原理で出てくる支点です。オステオパシーでもフォルクラム(英語の支点)という言葉を良く使います。この支点は、ものごとの中心、点、台風の目として説明される時があります。テコの原理では、この支点を通して力点の力が伝わり作用点が動くので、力が伝わり、ものごとに影響を与える点としてフォルクラムという単語が使われます。よって、テコの原理のように物理的な支点を表す時もあれば、その時の現象の中心を表すためにフォルクラムと言います。現象が起こるには、何らかの「力」が働いている訳なので、それがフォルクラムを通して作用しているということです。つまり、フォルクラムがわかれば、そこからそこに影響している「力」に繋がっていくことができるのです。その「力」が必ずしも物理的な力ではないものの時もあるので、目に見えなかったり、測定するのが難しかったりする訳ですが、何も起こっていないのに変化することはないはずなので、変化しているということは、何らかの「力」が働いているということになります。


肉体だけをみていると、視点も支点も肉体しか分からないのですが、もう少し「傍観」できる感じが出てくると、両方の「してん」も変化してきて、今までとは違う流れや関係性、「力」が理解できるようになってきます。ただ、この支点の変化も、視点が変化していったように、ものごとを経験していく過程や、気づきや成長と共に変化していくのではないでしょうか。ある程度「する」の状態での経験を得て、もう一歩引いた状態の「傍観」しているような状態になってくると、今までとは違う関わり方になってきますね。


日常生活の中でも、どの「してん」にいるかを振り返ることで、また新しい学び、気づきが得られるかも知れないですね。


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